2015年03月20日

大学でのチェスを振り返る〜大学2年編〜

 そして2年になった。2年生にとって最大の仕事は何と言っても新入生を何とかして入れることである。
しかし新歓で予想だにしない事態が起こる。
 新入生に女性3人含む4,5人が入ったのだ。中には他大から来た人も…。こういってはなんだが、TUCCは女性部員を勧誘するうえで不利な条件しかない。そもそも大学自体男女比が4:1な上ボードゲームに興味を持つ女性は一般的に非常に少ないからである。TUCCに女性が入るのは5年ぶりとかであった。それ故に1人でも入れば奇跡なのに3人も入ったことは驚きであった。

まさか自分が後輩の女の子にいじ(め)られることになろうとは当時は全く思わなかった…。

 これらの現象を目の当たりにして、お互い言葉に出しこそしなかったが、Quもみがわりも「このままでは良くない」という意識が芽生えて来たのではないかと思う。そして、それまで殻にこもっていたTUCCを打破すべく、一転他のチェスサークルと交流を図るようになる。
 一方チェスの実力はと言うと大して伸びず、新入生に大して指導できていなかっただろうと思う。正直このことについては後悔が残る。新入生に指導した棋譜がたまたま一つ残っていたので改めて最近並べたが、いやーひどい手ばっかり指している。よくこんなんで指導したもんだ・・・。
今でも申し訳ないと思っています。

 そして5月。ゴールデンオープンの1日コースに参加したが、ここでの結果はその後の俺の、チェスへの姿勢を変える大きな要因になったと思う。結果は3.0/4.0で上々。4人タイとはいえ優勝であった。特に印象的だったのはS大学のAさん(久々にこの表現使ったな)との対局。
 これは今でも覚えている。エクスチェンジダウンをやらかし、不利な状況での試合を強いられていた。その時の相手の方の余裕そうな表情は忘れない。しかし、粘り続けているうち、戦局がおかしくなり、最後は相手がパペチュアル1択しかないという状況にまで追い詰め、ドロー。
 このとき、不利でも決してあきらめず、負けを回避する可能性を信じて指し続けることが大事であると学んだ。
 この方とはその後も何戦かすることがあったが、試合展開が似ることが多く、そのたびにこの思いは強くなった。

これ以降、すこしずつ大会で結果を出し始めることになってきた・・・ような。今からすれば技術も何もかも未熟だったのだが、とにかく諦めないことを信条に、指し続けていた。

夏合宿は兼サー先と被り、行くことができなかった。合同合宿で盛り上がったと後で聞いて残念だった。

 そして・・・、10月になり、すこしずつTUCCの人は減っていった。もっともこの辺りだっただろうか、おりがみが突如としてあらわれ、定着するようになる。当時は訪問しては次から来なくなるパターンが多かったので、定着してくれたことに驚きであった。
 また、勧誘したはずの1個下のメンバーの人数の減少が激しく、よく来るのはrumのみという事態になりがちであった。新歓はある程度成功を収めたものの、その後の定着させるための努力が足りなかったのではと思うたびに悔やまれるところである。

 そして駒場祭。直前にあった三田祭でKUCCも訪問し、この辺りから本格的に他大学との交流が盛んになって行く。筑波大学から大挙して押し寄せ、8x8から来た方々が手伝ってくださった。

 そして執行部交代。web係とはいえブログをちょこちょこ更新する以外なにもしていなかったが、一応仕事したと言える・・・はず?
 本来なら交代したしもう記事を書くことはなくなった・・・はずだったのだが・・・ねぇ

 そして学生選手権。初めての学生選手権は3.0/6.0とまあまあの成績であった。
 また、ここで東北勢との交流が始まる。自分と似た趣味を持つあおばさんとの出会いは衝撃的であり、興味深かった。

 2月には初となる筑波交流会があり、初めていく筑波大学の広さに、ただただ圧倒された。チェスもそれなりに強く、野球をやりこんでいるあべたは、十分印象に残った。

 3月。大学生活2年間終ろうとして初の合宿参加。伊豆で行われた。結果は2.5/6.0と振るわなかったものの、NJさんにドローを取ったことを今でも覚えている。正直奇跡であった。

 交流が増えるにつれ、HPを見られる機会も増えていく。しかし当時致命的な欠陥があり、TUCCのHP上で、IEだと他のリンクに飛べなかったり、ブログの位置が分かりにくいなど、非常に不便な仕様であったため、旧web係最後の仕事として、HPをrumと一緒にリニューアルした。格段に分かりやすくなったとの声が多く、ほっとしたのを覚えている。

 こうして、少しずついろんなものが動き出した1年間となったなと今では思う。そして、本来なら学年が上がるにつれサークル活動は減るもんだが、むしろ増えていく…。

大学3年編へ続く
ラベル:チェス
posted by やぶこーじ at 13:53| Comment(0) | 記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

大学でのチェスを振り返る〜大学1年編〜

いよいよ3月も終わりに近づき、学年が変わるときがやってまいりました。
僕もあと少しで大学を卒業するので(早かったー)、記録的な意味合いも兼ねてここにどうだったかを振り返って書いておこうと思います。本体の文章は〜だ、〜である調にしますのでご容赦を。

では早速。

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2011年4月―――――

今は昔、サークル選びに悩める男ありけり。
東大に合格し、入学手続きを終え、さて大学生活が始まるぞ〜ってところで俺はどのサークルに入るか悩んでいた。兼サーをしようと思い、1つは決めていたがもう1つが決まらなかった。入りたいと思う候補が10個くらいあり、新歓活動に連日のように行き、あれこれ悩んでいたのは今でも覚えている。その最後の候補が、TUCCだった。サークルのビラを見る限り緩そうだったので、5月くらいでも大丈夫だろうと踏んだのが理由であるが。

そもそもビラを見るまでチェスサークルの存在を知らなかったし、特別やる気があったかと言えばそうでもなかったが、5月中旬に311A、TUCCの部室のドアを叩いてみることにした。中高時代将棋部だったこともあり、ルールと、初手はキングの前のポーンを2つ進めると良いらしいということは知っていたので、当時の部長であったあまがえるさんと対局した。

結果は勝利。3ポーンダウンくらいしてたのはおぼろげに覚えているが、勝てたのは非常にうれしかった。流石に運が良かったと思うのだが・・・。しかしこの勝利が、俺のチェスに対する間違った考えを生じさせるきっかけともなった。
結局、2つ目はいろいろな要素を考えてTUCCにしたのだった。今までの考え方を使えるし、新しいことを始めたいと思ったのでピッタリだった。

そして6月だったか、今は無き吉祥寺チェスクラブ主催の新人戦に出た。結果について記憶に残っていないので、可もなく不可もなくの戦績だったのだろう。しかし、この大会が俺が1年の時の出場した唯一の大会になろうとは思わなかった。

この時からQuとみがわりはいて、よく指した。2人とも麻布出身で中高からチェスをやっていたので強かったが、こっちは将棋をやっていたこともあり、みがわり相手には当時から五分五分だった気がする。Quと当時2年のIさんにはなかなか勝てず、特にIさんに初めて勝ったのは1年の時の10月だった。

夏休みになり、夏合宿があったが、兼サーしているサークルと日程が被ったため、出ることができなかった。

そして10月。ここからは個人的にTUCC1番の暗黒時代だったと思う。4,5人くらいいた1年生も少なくなったうえ、2年生も本郷行く関係で人が減った。それでも俺はチェスへのモチベはあったので3回に2回以上のペースで行っていた。しかし行ったは良いものの自分以外誰も来ず、プロブレム解いたり勉強したりして過ごし、8時過ぎくらいになって一人そっと部室を去るということはザラであった。
何回かTUCCからフェードアウトして今からでも参加できそうな別のサークルに入ろうと思った。しかし駒場祭の準備で忙しいサークルも多く、結局やめにした。もし見つけてフェードアウトしたらこんな記事を書くこともないと思うと感慨深い。
当時のTUCCはJCAから脱退したのもあり、公式大会に出ることはなく、今と違って他大学との交流も無かったので、黙々とチェスを指すのみであった。今から思えば積極的に交流を図ろうとすればよかったのだが、その発想すら思い浮かばなかった。

そして駒場祭。だがあまり記憶がない・・・。ただ多くの部員が参加してホッとしたのは覚えている。

そして執行部交代。Web係になったが、翌年四月まであまり真面目に記事を書いていなかったし、書いたとしても短文だった。
執行部交代はしたものの、駒場祭過ぎるとまた部室の人は減った。学生選手権の存在を聞いてはいたがJCA脱退しているため出れないという話を聞き、出場しなかった。

そして何か起こるかと言えばそうでもなく、春休みとなった。春合宿はめっちゃ強いらしい(当時はその程度の印象しかなかった)南條さんがいらっしゃるということで行ってみたかったが、今度は法事と被り、行けなかった。

今だからこそ言えるが、大学1年終わりの春休みは1度もチェスを指していなかった。

だが、TUCCと、やる気がどん底であった自分のチェスに転機が訪れる―――。

大学2年編へ続く
ラベル:チェス
posted by やぶこーじ at 10:12| Comment(0) | 記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

ドラゲナイ!

おはようございます。もう3月ですね!餅を伸ばして食ってた正月ももう2か月前・・・。時の流れは早い。
僕の方はと言えば、卒論の単位も付き、卒業できそうです!卒論は大体終わりましたが、研究室提出用に修正したりしています。

さて、今回は最近流行の曲に乗じて記事を書こうと思います!

ドラゲナイって?

知ってる方も多いと思いますが、中には知らない方もいると思うので説明。もとはSEKAI NO OWARIというバンド(?)の作曲した『Dragon Night』の歌詞で、Dragon Nightと連呼するところがあるのですが、どう聞いても「ドラゲナイ!」にしか聞こえないので、このように呼ばれていたりします。

ですが、今回僕が扱うのはおなじドラゲナイ!でも、「Dragon Knight」の方です(笑)。ちなみにNightとKnightは発音記号は全く同じ。

Dragon Knight

ここでは、Sicilian Dragonというオープニングにおける、Knightの重要性について自分の対局を元に、書いて行こうと思います。だからドラゲナイ!
ところで、Rxc3という言葉を聞いたときに、何を思い浮かべますか?
ここで、Rxc3が起こる場合の定跡手順を見てみます。



ドラゲナイ!
そう、ルークとナイトを交換しに行くという黒側のプレイングの際に起こり得ます。一見エクスチェンジダウンだし無茶苦茶なように思えますが続けると意外と黒は悪くない。続きの一例として、このように変化します。



黒はエクスチェンジダウンのはずですが、攻撃態勢に入っており、ナイトが中央を制圧し、キング回りも黒の方が堅く、黒の方が指しやすいのではないでしょうか。
理由として、
1.白の守りの要であるナイトが消えている
2.ポーン形が崩されたことにより、a2、a3、c3が弱点になり、Qの攻撃を受けづらい
ことが挙げられると思います。

なので、Dragonにおける白側のc3のKngihtが相当重要な駒であるみたいですね。また、白のKnightは将来d5に飛ぶ可能性を持っており、黒からするとこのKnightをどかすのが難しく、目の上のこぶみたいな存在にもなり得るので消せることは非常に大きいです。

実際の対局から

僕の対局例からドラゲナイ!の重要性を見ていこうと思います(笑)。
一つ目は去年のゴールデンオープンの最終ラウンド、白:僕、黒:あおばさんの試合です。両者ドラゴンプレイヤーで、このような展開になったのは必然でした(笑)。



ここでSHIAI NO OWARI。最後は合意ドロー。白で指していましたが、正直なところ黒の攻めの方が早く、攻め合いで勝てる気がしなかったのでドロー承諾しました。勝ちに行った方が良かったのか…?今でも頭の隅に引っかかってたりします。

2つ目は最近指した、Blitzから。Blitzでエクスチェンジダウンになる手を指すという暴挙に出ましたがそこはドラゲナイ!ってことでやるしかないでしょうということでやっちまいました。僕が黒番です。タイムコントロールは5分2秒です。



途中やらかしたところもありましたが、なんとか勝利。形を崩したからと言ってすぐに勝てるわけではなく、その後もうまく指す必要がありますが、Blitzで決めれて良かったです。

3つ目は最初に書いてからかなり後になりますが同じくBlitzで決められたので載せておきます。



a5のQがc3を通じピンを刺しているので白側の動きがかなり制限され、そこにKnightが白のQにちょっかいを出せたので勝てた試合。ポジショナルの重要性を認識した試合でした。エクスチェンジダウンなのに猛攻を仕掛けて勝つ気持ちよさは何にも代えがたいです(笑)。

うまく指せれば相手に「フセゲナイ、フセゲナイ、フセゲナイ、ヤバい♪」と思わせることができるかもしれません(笑)。改めてDragonにおけるc3のKnightの重要性を認識する結果となりました。

ではでは〜合宿勢楽しんでいってねー

ドラゲナイ!
posted by やぶこーじ at 11:01| Comment(0) | チェスネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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